“ゲームは有害だ”と言うだけでは社会的にも停滞感が生まれてしまう

面白い記事を見つけた。そもそも「ゲームは有害だ」とばっかり行ってる人は何かのスケープゴートにしてる場合がほとんどに見えるから、こういう記事があっても全然気にしないんでしょうけどね。

ゲームってのは所詮「娯楽」であって全くもって「芸術」の領域には達していないから、人殺しのゲームが単に人殺しで終わっていて、グロいゲームが単にグロいだけで完結できるんですよね。

まぁ大人数で作る場合がほとんどだから、そんなものが芸術としてむいていく事自体が稀ではあるんだけど。ただ単にプレイしてておもろいからいいじゃん、なんてのは娯楽すぎる。で今のゲームってそんなもんだと思いますよ正直。ユーザーもそれを求めてるしね。どんなテーマでも面白い物に変えてしまう「ゲーム性」という物がゲームを娯楽足らしめると同時に芸術から遠ざけてるわけだ、うんうん。

で、そのゲーム性を有る程度削いでやる事で、記事にもなってる「シリアスゲーム」という現実社会の問題点をついたゲームが出来上がるわけだから皮肉なもんだね。

ゲーム性以外にゲームをゲーム足らしめる要素は「好奇心」なわけだけど、いまんとこそれがわかってやってるのは任天堂ぐらいだもんなぁ。暗い業界だ。