何もしない人ほど批評家になる

批評家っつっても、批判しかしない人と建設的な事が言える人があるやね。前者は何の役にも立たないけど後者は必要なもんだと思います。ここの記事で書かれてる批評家ってのは前者だよなあ、たぶん。
何もしない批評家ってたぶん批判しかできないんだとおもう、一方で自分で色々やってるような人は「自分だったらどうするか」みたいな事を考えるから自然と建設的な方向に言葉が向いていってる気がする、たぶん。

直接関係する話じゃないんだけど、消費より生産のほうが良いよなぁと思う。ゲームをやるのは時間の無駄にしかならないけど、ゲーム作るのはすごくクリエイティブだと思うし、他も然りだなあ。そんな事を考えるようになってからゲームというものをほとんどしなくなったわけだけど。
でもやりたいゲームはちゃんとやるようにしてるんだよねぇ。それほど時間の無駄じゃないと思えるゲームが一方で存在するわけだ。なんというかすごくインタラクティブで自分の好奇心とか創造力を掻き立ててくれるような物がある。そういうゲームやると良いよね、特に任天堂のゲームはそういう面が強いなぁ。
ということだから、自分を鍛錬してゲームがどんどんうまくなってステージがクリアできるようになる、ってなヤリコミ系のゲームは大嫌いだし、タイムアタックなんて事もあんまりしない。
ほんとに話がそれてるので終了。